オタクが留学2回した話

職業英語トレーナー。28年ずっとオタクのインドア派が好きなものを追いかけて韓国、NZに2回留学した話を主に書いています。

【韓国】韓国のバイト事情

韓国ではアルバイト2つ掛け持ちしていました。

1つは小さな学習塾で中高生に英語を教えていたのと、もう1つはケータイアクセサリーショップで販売員として働いていました。

 

というのも、最初は塾のバイトで事足りていたのですがコロナで滞在期間を1ヶ月延長したため、お金が足りなくなったのでケータイアクセサリーショップでも帰る前の3ヶ月ほど掛け持ちをしていたという感じです。

 

 

基本バイトを探す手段としては알바천국(アルバ天国)か、アルバモンというアプリを通して探すか、もしくは日本人ならコネストのバイト募集掲示板みたいなところから探すのも一つの手です!

 

アプリは基本的に韓国人も使うアプリなのであまり言葉ができないとハードルが高いかなと思うのですが、その代わりに自分のプロフィールを登録しておくとスカウトが来る場合もあるので便利かもしれません!

 

実際、塾のバイトは塾長から直接ムンチャ(SMS)が来てそこからやり取りをして面接→即日採用となりました。

 

 

私がいたときの韓国の平均時給はソウルで9000ウォン?くらいだったように思いますが、まさかの塾のバイトの時給は12000ウォン😂

この時英語話せてよかった……!と思いました(笑)

 

仕事内容も学生相手に英語で英語を教えるという内容で、特に難しい韓国語を使う必要もなく、自分の持ってるスキルを活かしてできる仕事だったので楽でしたが、同時に英語が嫌いと言ってる子供達に、どうやったら英語を好きになってもらえるかと考えながらゲームなど色んなことを試行錯誤しながら仕事をするのはやりがいもあったなぁと思います。

 

 

思えば、この時の経験が今の仕事に活きているのかなとも思います!

 

ちなみにもう一個のバイト、ケータイアクセサリーショップですが、これについてはまた後日書きます(笑)

 

 

長くなったので一旦今日はこの辺で!!

【NZ】海外の高校、髪の毛や制服に対する校則はある?

本の学校って髪の毛とか、制服に対する校則が厳しいですよね。

聞くと韓国も厳しいみたいなので、アジアは厳しいのかな?と思いますが…

 

 

ニュージーの高校はどうなのか??

端的に言うと、変なところで厳しく、変なところで緩いです(笑)

 

 

思春期真っ盛りの私は何故か海外にいながら日本のビジュアル系にハマり、とにかく髪の毛を染めたい!!!ピアスめっちゃあけたい!!!という時期がありました(笑)

 

最初は日本に帰ったときに日本の染め粉を買って、自分の髪色に近いような赤茶色に染めていたんですが、それでも飽きたりなくなった私はニュージーのスーパーで染料やブリーチを買ってめっちゃ派手な赤、はたまた白に近い金髪にまで染めたことがあります。

 

金髪にした次の日学校に行って、何か言われるかなと思ったら担任の先生に「素敵な色ね〜♪」と言われました(笑)

 

 

友達に聞いたら、どうやら自分の髪の色に近ければ染めてもOKみたいなルールがあったみたいですが、いかんせん地毛がそもそも色んな髪色の子がいるので、ルールはあるものの無いに等しいみたいでした。

 

 

ピアスに関しても特にルールはありません。

若気の至りで、高校のときは右5つ(軟骨も含む)、左3つピアスを開けていましたが、特に何も言われませんでした。

が、大きな輪っかのピアスをジャラジャラつけている子は流石に注意されてたと思います。普通の小さいピアスなら何個つけててもOKです(笑)

 

向こうで厳しく注意されたのはメイクと制服です。

 

女子高だったというのもありますが、メイクは先生に何回か注意された記憶があります。

だからといって次の日から化粧しないなんてことはなかったですが…(笑)

 

 

制服も、スカートの丈は日本と同じく厳しく注意されました。

ただ日本と違うのは、当時私の学校ではスカートを腰で履いて逆に膝下のロング丈にするのが流行っていて(アジア人がやると足短く見えるやつ)、それをやると制服の校則に厳しい教頭先生にめちゃめちゃ怒られました。

何回か注意されるとditentionと言って昼休みもしくは放課後に残されて自習させられます。

 

その他、靴下の丈にもやたら厳しく、長すぎても怒られるし、短すぎても怒られます。

なんでそんなに靴下にこだわっていたのか未だに謎です………🙄

 

 

あと、向こうの制服には夏の制服に靴はサンダル、冬の制服には靴と季節によって靴も変わるのですが、それについても冬にサンダルを履いていたりするとそれはそれで怒られます(笑)

 

 

謎に変なところにこだわるのがニュージーの校則かなと思っています(笑)

【NZ】留学2年目、学校選びのポイントとは?

先日も書きましたが、ニュージーはIntermediateと呼ばれる中学校が2年、Collegeまたはhigh schoolと呼ばれる高校が5年間あります。なんかちょっと謎ですよね。


ただ、高校の中でも最初の2年間はJuniorという扱いで、所謂大学に必要な単位を取るための試験などはSenior(11年生)、つまり日本の高校1年生から始まります。



ちょっと話がそれましたが…そんなわけで、中1でニュージーに留学すると、1年Intermediateに通い、その後また別の高校に進学することになります。


もちろん、IntermediateとCollegeが一緒の学校(所謂中高一貫校)に入学した場合は別ですが、私と通っていたIntermediateは中高一貫校ではなかったので、向こうに行って一年目の半年経った頃に学校見学に行き、次の年から行く学校を決めなければいけませんでした。



そこで私が選んだのが生徒数はそこまで多くないが、留学生の面倒見も良く、オークランドの中でもそこそこ頭がいいとされている女子高でした。


何故そこを選んだのか、そもそも学校選びのときのポイントを書くと、まず、私の場合ホームステイ先がとても良く、ファミリー側に何か事情がない限り私からは代わりたくありませんでした。
なので、ホームステイ先から通学できる学校をいくつか見学しました。



見学した学校のほとんどは共学の学校が多かったですが、中学の時に差別的な発言をされたり、からかわれたりしたのが主に男子だったため、どことなく共学はないかもなと考えてはいました。



あとは、学校の規模です。
大きいところは本当に大きく、生徒数も多く設備も整っているので、Seniorになったときに取れる科目の選択肢が広がります。
ただその分留学生も多く、日本人も多いので、キウイの友達が作れるか、英語を話せる環境に身を置けるのは自分次第と言ったところでしょうか。
それにプラスして、上記の通り留学生が多いので、一人ひとりに目を掛けてくれるかというとそこも少し不安がありました。



別に留学生担当の先生は日本語が話せるわけではないけど、いざというとき、相談できて、理解をしてくれる先生がいるというのは安心できると思っていました。



結果、学校見学の際にとても丁寧に、英語もよく分からない私に分かるように話し掛けてくれた留学担当の先生がいた学校を選びました。


特段大きいわけでもなく、校舎も新しく無ければ設備も良いというわけでは無かったですが、アットホームな雰囲気と、ここなら安心して通えそう、頑張れそうだと思ったのが大きなポイントです。


家からは少し遠かったので、朝6時半には起きないと間に合わなかったのが少し辛かったですが(笑)、結果として小さな学校で5年を共に過ごした同級生たちは卒業する頃には全員顔見知り、何かあれば誰にでも頼れるような存在になっていましたし、先生も皆さん私が留学生だからといって蔑ろにしたりすることもなく、平等に接してくれたお陰でとても濃く、楽しく、そして有意義な留学生活を送れたと思っています。



私はサボりぐせがあるので、もし他の学校に行っていたら、英語もろくに喋れないまま勉強も中途半端で過ごしていたかもなあと今になって思います(笑)


留学先の学校選びで一番重要なのは規模や設備ではなく、いかに自分が頑張れそうな環境なのか、ということだと思います。

【NZ】留学1年目、やっと学校が楽しくなってきた!

いつかのブログに書きましたが、留学1年目の入学当初は、本当に英語が分からず、クラスの輪にも入れず、毎日学校に行くのが苦痛でしかありませんでした。


それがやっと楽しくなってきたのは入学後、3ヶ月経ったくらいでしょうか。
別に3ヶ月で超英語が上達したわけではなく、相変わらず授業の内容はちんぷんかんぷんでしたが(笑)、あまり馴染めていなかったクラス、というか、自分を認めてくれていないと感じていたクラスメイトに認めてもらえるようなことが起こりました。



まず先に書いておくと、NZの中学って日本の学校と違い、勉強という勉強はほぼありません。
まあ数学やEnglish(国語)の授業みたいなものもあるにはありましたが、それよりも与えられたトピックに対してリサーチをして、発表したり、グループワークしてプレゼンテーションとか、とにかく発表をする機会がとても多いです。



これがね、、、留学生にはまた辛い🤣
リサーチをするのは出来るけど、それをまとめて発表って、今ならいくらでもグーグル翻訳とかありますが、10数年前にはネット上で精密に翻訳をできるサイトなどなかったのでとにかく難しかった。



その時は理科の授業の一貫で自然災害についての原理などを纏めてポスターを作り、プレゼンテーションをせよ、と言う課題が与えられていました。
課題に取り掛かる時間は1ヶ月。



私は津波について発表することを選んだのですが、当時日本語でも上手く説明できないことを英語のサイトを使って調べ、意味を噛み砕いて理解し、ポスターを作って原稿を書く、ほんと完成させるまでにネイティブの倍は時間を費やしたと思います。


正直理解できないこともありましたが、辞書を使って調べて、それでも分からないことは先生に聞いたり、ホームステイファミリーに助けてもらったりしながらなんとか完成させたプレゼンテーション。


あとはプレゼンのスクリプトをひたすら音読する練習をしました。当時はまだ発音も全然未熟だったけど、とにかくつっかえたり、聞き取りづらくならないように読む練習をしたんです。やっぱり英語できないから〜ってバカにされたくなかったから。


本番当日、そもそも日本の小学校でそこまで発表なんてやったことが無かった私は、30数名+先生の前に立つだけでガチガチに緊張しましたが、自分なりに纏めたスクリプトを声を震わせながら読み上げました。
練習のお陰か特に躓いてしまったりすることなく、プレゼンを終えると、クラスのみんながとても大きな拍手を送ってくれました。



私のことをバカにしていたネイティブの男子もGood jobと声をかけてくれたんです!




そのあと先生からの一言で、「あんなに英語ができなかった彼女が、ここまでのものを作り上げた、その努力は皆が見習うべきだ」というような言葉にまた拍手が起こり、この時初めて認めて貰えた…!という嬉しさがありました。



その後からは、当時私は脚が早かったので体育祭の時にクラスの短距離走女子代表で選んでもらえたり、自習の時間にクリケットに誘ってもらえたり、徐々にクラスの中でも居場所を確立していきました。



あんなに嫌いだった学校が、少しずつ楽しくなっていったし、卒業するときはみんなに会うこともうないかもという寂しさで泣きました(笑)



このとき学んだのは、100%いい完成度ではできないかもしれない、でもとりあえずやってみる、それも、一生懸命にやる、ということ。


それは今も、変わらず心がけていたりします😊

【NZ】中1冬、恐怖の野宿キャンプ

ニュージーでは修学旅行の代わりにキャンプがあります。

 

 

そこまで頻繁ではないですが、私が通っていた学校では8年生の時に一回、12年生のときに1回ありました。

今日書くのは8年生(共学の学校に通っていた時)の時のキャンプの話です。

 

何泊だったかはっきり覚えてないんですが、多分3泊くらいだったような気がする。

夜めっちゃ寒かったので冬だったと思います。オークランドからバスに乗って、さほど遠くないけど山に囲まれ電灯もなく、牛しかいないみたいなすごい場所に連れて行かれました。

 

 

その時まだ英語が上手くなかったので友達も少なかったし、しかも何の為のキャンプかもよく分からない状態で行ったキャンプだったのですが、行ってみて驚いた。。。

 

 

一泊目、泊まる予定のロッジに荷物を置くと、私のいた班だけ少し離れた森の中のちょっとした広場に連れてかれ、6人組になったところで青いビニールシートと紐だけを渡されてこれで寝床を作れと言われました。

 

その当時仲の良かった韓国人の子はそもそも同じ班ではなかったので、私はさほど仲良くもない現地の子達にグループに入れてもらいました。

 

何をしたらいいのかよく分からないまま木の下にめちゃめちゃ簡易的なテントを作ったのですが、ビニールシートで大層なテントなんかできるわけありませんよね。

冬にも関わらず屋根と辛うじて床しかない、通気性抜群のテントが出来上がり、いやいやまってこんなとこでまさか寝ろとか言われないよね…と恐れおののいていたのですが、そのまさかが的中します。

各チームがテントを作った後、キャンプファイヤーをするとあっという間に夜に。

 

 

まじで、お化けも出ないくらい真っ暗。

遠くの方で聞こえる牛の鳴き声バックに、先生から「それでは各班、テントに戻って寝るように」と死刑宣告をされます………。

 

 

意味不明なことをやらされた上に早朝から長時間のバス移動で疲れていたし、眠いのは眠かったのですが、まじで!まじでこれが寒い!!そりゃそうだよな真夏なら分かるけど真冬に壁ないとこで寝ろってそりゃ寒いだろ!

しかも野宿させられると思ってなかった(アナウンスあったのかもしれないけど理解できなかった)から、上着も大層なもの持ってなかったし、とにかく全然眠りになんかつけるわけありません。

 

 

そうこうしてるうちに朝方雨が降ってきてテントに浸水し、みんなワラワラ起き始めたところで先生から集合がかかり、ロッジに戻ることに。

 

 

ロッジに戻って仲のいい友達の顔見たとき、マジで泣きました。

今考えても、ホント、なんの為のアクティビティだったのか謎です。

 

その後はカヤックとか、キャンプっぽいアクティビティをした覚えがあるんですけど、初日のインパクトが強すぎて何も覚えてません(笑)

自分ちじゃないし自分ちの家族じゃないけど、めっちゃホームステイ先帰りたい!!ママに会いたい!!となったキャンプでした(笑)

 

 

そのせいか、キャンプにはあまりいい思い出がありません(笑)

 

 

 

【NZ】留学1年目、学校のクラスってどんな感じ?

1年目のクラスは、正直そんなにいい思い出がありません(笑)


入学当初言葉ができず馴染めなかった、というのはまあ自分も内気なところがあり話し掛けにいけなかったというのはあるのでしょうがなかったのかなと思ってはいるんですが、そもそも差別される、言葉ができないことをいい事にバカにしてくる子が少なからずいました。(特に男子)



自分も英語ができないといっても行った当初からリスニングはそこそこできたので、ニュアンスでどんなことを言っているかは理解が出来たんですよね。あからさまにあのアジアン、と指をさされて言われたこともありましたし、


グループワークのチーム分けでは、こいつ英語分からないから一緒のグループ嫌だと言われたこともあります。
まあ今となってはその気持ち分からなくもないけど、あの時は流石に悔しいやら、ショックやらでした。(言い返せないのがもっと悔しかった)


女の子は比較的優しくて差別的なことを言ってくる子は少なかったです。(あまり私のことよく思ってないんだろうなという子はいた)
隣の席だったモデルみたいにキレイな子は、結構問題児で授業中化粧したりしてましたが(笑)、面倒見がよく、私の面倒を面倒臭がらずによく見てくれました。


教室移動のときは違う教室にも関わらず連れて行ってくれたり、理解できないことを分かるまで説明してくれたり。



その代わりよく数学の答え見せてと言われてましたが(笑)




先生は男性のあまり笑わない先生で、怖かったです😂
でも教育熱心で、周りのクラスがあまり数学の授業をしていなかったりするときに数学の授業をやったりしてた記憶があります。


また英語ができないからと言って優しくしてくれたりするということもなく、宿題をやってこなかったりすると普通に怒られました。しかも、「なんでやってこなかった?huh?」と冷静に問い正され、英語で何を言おうか考えてると「何か言いなさい」みたいな怒り方するので、めっちゃ怖かったです。
ただその後から宿題はホワイトボードに書いてあることに気付いたので、意味が分からないものがあってもとりあえずホワイトボードにかいてあるものは丸写しすることにしました(笑)(これで宿題を忘れて怒られるという難はなんとか逃れた)


最初の学期の成績表には「彼女は英語が分からないので、コミュニケーションが取りづらい」みたいなめっちゃネガティブなこと書かれました(笑)



ただ徐々に、課題の一貫で拙いながらも先生に言いたいことを伝えたり、分からないことは聞いたりするうちに先生も笑ってくれたり、褒めてくれるようになりました。その結果、2学期の成績表には「She always tries her best」と書いてくれていたのは今でも覚えています。



分からないなら分からないことを伝えないと分かってくれない文化だし、やっぱり言葉ができないとその世界の住人としては認めて貰えないんですよね。

認めてもらいたければ努力をしなければいけない。
それはどの世界でも一緒だなと感じています。



ただ、あの頃よりも必死に努力したときってあるかと聞かれると怪しいかもしれません(笑)



やっぱり海外に行くと、より生きることに必死になるんだなと日本に帰ってきてからは思っています。

【NZ】英語力ゼロでどうする?ドキドキ初登校日

私が12歳でニュージーに留学したときの英語力はほぼ0に近かったと思います。


小さい頃から外国人のベビーシッターさんに面倒を見てもらったり、英会話に通ったりしていたので英語ナニソレ状態ではなかったですが、もちろん文章でなんか話せなかったし、言っていることもネイティブスピードなら良くて4割ほどしか聞き取れませんでした。



その程度の英語力で現地の中学校に入ったらどうなるでしょう!


まず担任の先生の言ってることが意味不明すぎて、ただ時折ホームワークとか知ってる単語は耳に入ってくるので余計に頭にハテナが飛び交いました。



しかも、向こうは何故か一年学年が進んでいて(何でか知らない)、加えて中学校は7年生、8年生の2年制なので私が13歳になる年で入学したときは8年生で、向こうの学校で言う、編入という形で入学しました。


だからクラスメイトはみんな7年生のときから同じクラスで、私一人転校生みたいな感じで超アウェー。しかも英語も話せないし、いきなりネイティブの輪に入れるすきもありませんでした😅
(同じアジア人の留学生とかいたらよかったんだろうけど、それもいなかった)


勇気を出して近くにいたクラスメイトにwhat is homework?って聞いても返ってくる答えが理解できないし、もう一度先生に聞いてもやっぱり意味わからなくて、とにかく、え?なに?え??とキョロキョロしていたら一日が終わったことを覚えています(笑)


今はスマホもあるしいつでもどこでも翻訳したりできるけど、私が行ったときは当然そんなものはなかったので、頼れるのは小さい電子辞書だけ😥それでネイティブが言ってることに追いつくなんて不可能ですよね💦


次の日学校に行ったら宿題をしていないと先生に怒られ、体操着も持ってきていないから体育の授業も受けられず、慣れるまでは本当に毎日学校へ行くことが苦痛で苦痛で仕方ありませんでした😢


多分、大人になってから同じ状況に放り込まれたら病んでたと思います(笑)


ただ子供のすごいところって、1ヶ月もすればそれに慣れてしまうんですよね。
そうこうしてるうちに1学期が終わって、次第に少しずつ課題の内容も分かるようになり、気がついたら中学は卒業していました(笑)



ただ今思い返すと、一番最初の1年が大変だったなあと思います。



中学時代の思い出は結構自分の中でも鮮明に覚えてるものが多いです。意味不明なサバイバルキャンプとか😂
その時の思い出は、また書きます!今日は一旦ここまで!