オタクが留学2回した話

職業英語トレーナー。28年ずっとオタクのインドア派が好きなものを追いかけて韓国、NZに2回留学した話を主に書いています。

【韓国】私が留学中一番病んだ時

私が韓国に留学したのは、26歳の時でした。

新卒で入社したエステの会社に3年と2か月勤め、退職した一ヶ月後に韓国へと渡りました。

 

少し前のブログでも書きましたが、当時韓国に行ったときは韓国語で数も数えられないくらい韓国語に対しての知識がなく、韓国に着いて2日後に入学した語学学校では先生が何を言っているのか分からなくて、授業中に出されるリスニングの課題ではいつもほぼ回答用紙が白紙、お昼ごはん何食べたの?という先生の問いにも「밥…(ごはん)」としか答えられないという状態でした。

 

今考えると、よくそんな状態で行こうと思ったな…と思うのですが、当時はギリギリまで仕事に忙殺+直前でまさかの大人喘息になるというハプニングがあったので、それどころではなかったというのが正直なところです。あと、ぶっちゃけ行けばどうにかなるっしょと思っていました笑

 

 

が、そんな甘い考えにすぐに後悔しました。

ひとまず学校に入学してから1週間目は学校や生活に慣れることに必死で自分の語学力などを考える暇などなかったのですが、少し慣れてきた2週間目から徐々に語学ができないことへの焦りが生まれ始めます。

私の語学学校では、通っている生徒の8割が日本人とかなり日本人の数が多く、特に私が入った初級クラスは9割が日本人でした。なのでできる友達も日本人。友達の友達も日本人、とにかく日本人のコミュニティの繋がりしかありませんでした。

気が付いたら学校でも、学校が終わった放課後も、気が付いたら日本語しか話していない自分がいました。

 

韓国語がやりたくて、韓国の文化が知りたくて韓国に来たのに、結局住むところと、環境が変わっただけでやりたいことは何一つできていない。

 

その時初めて自分この国に来て何やってんだろ…と思いました。

 

そこにプラスして、基本的に一人の時間がないとだめ+自分よりも韓国語ができる友達といると焦燥感や自分への嫌悪感が強まってしまうこともあって、土日は日本人の友達と遊びに行くこともなく、寝て過ごしたり外に出てソウル駅にあるロッテスーパーくらいのもので、家にいる時間が長ければ長いほど自分の居場所ってここにはないんだな…と考えては病む、を繰り返していた記憶があります。

 

韓国に行くまでは働いていたし、家に帰れば(日本では実家住まいだったので)家族がいて、当たり前に居場所があったのに、韓国に行くとそれが途端に消え去ったように感じたんですね。


 それに加えて大人になってからの留学。なんかプライドとかそういう面倒なものが邪魔して分からないことが分からないと言えなかったり、素直に教えてと言えなかったりで、ただただ自分が周りから遠ざかっていたな、と思います。


これが私が韓国に行ってからの病み期第一期。

まあその後結構努力して韓国語勉強し、土日は韓国人と話せるスピーキングカフェに通い韓国人の友達もできてあっさり病み期は終わったんですけど…w

 

どうやら今働いている会社の性格診断でストレスに鬼強いことが発覚したので恐らく私が病むということは相当言語ができない・環境が変わるってストレスだったんだなあと感じています。

 もっとしっかり韓国語勉強して行っていれば早めにバイトもできたし、友達も作れたかも、もっと色んなとこ行けたかも…考えれば考えるほど後悔はつきないですが、それでもほぼ0からのスタートで、最後は充実してた!と言えるような生活を送れたことに達成感も感じています。


ちな、その後しばらくは韓国で安定した生活を送るのですが、帰国が4か月後に迫ったとある日、また病む事件が起きます…

 

次回!!

 

【みんな大好き韓国人の彼氏の実態♡】

 

 

お楽しみに!